随所に楽しむ in Boston

2019年夏からボストンの大学院に留学することになり、学生生活やアメリカでの子育てに関する気付きをゆるゆると記します。

近所のカフェにて -労働の本質を考える-

元々コーヒーを飲む習慣は無かったのですが、アメリカに来て、勉強するようになり、頭をスッキリさせるためにコーヒーを飲む機会が増えました

 

普段はスタバやダンキンドーナッツのコーヒーを飲むことが多いですが、自宅の近くにローカルなコーヒーメーカーの直営カフェがあることを知り、訪れてみました

 

New England Coffeeというボストンのスーパーではよく見るコーヒー豆のメーカーです

私自身、コーヒーの味にこだわりはなく、味覚に自信はありませんが、普通に美味しいコーヒーだと思います

カフェもきれいでおしゃれな居心地のよい空間ですので、オススメです

 

◻️New England Coffee

New England Coffee – Count On Every Cup

 

さて、ここのカフェには、地元の警察官が多く訪れていて、店員さんや他のお客さんと談笑していました

 

アメリカに来てから、カフェで警察官や消防士の方が休憩している光景をよくみるのですが、日本ではあまり見ないように思います

 

少数だとは思いますが、日本では公務員が休憩をとっていると、「税金の無駄遣い」といった苦情が寄せられるという話は度々耳にしますよね

 

きっとアメリカでも同じような苦情はあるのでしょうが、個人的な感覚としては、このような苦情の話に限らず、日本では、労働=働いた時間という意識が強く残っているように思います

 

例えば、労働時間規制に関して、未だに社員の精神・肉体的な疲労を時間で管理しようとする仕組みも、一人ひとりの特性に合わせて、より科学的な方法で測れないのだろうかとも思います

今後、日本社会として副業を推進していく中で、会社側が労働時間の概念を使って社員の健康を管理することは現実的では無いと思います

 

また、労働時間は、労働者の健康管理や便宜的な給与の算定のためにカウントする必要はあるものの、成果に応じて給料が算定され支払われているというのが適切な見方であると私は考えています

✱伝統的なブルーカラーの職業であっても、原則としてはあくまで生み出した価値を踏まえて時給が設定されるものと捉えています

 

まして効率性が重視される情報化社会から、人それぞれの価値観(幸せ)が重視される時代に変わりつつあるなか、労働に対する捉え方も時間から価値に変わっていくのが自然ではないでしょうか

 

かく言う私も自分の仕事を省みる際には、つい「無駄に時間を過ごしていなかったか」という尺度を使ってしまうことがあるので、成果(生み出した価値)への意識を改めて持ちたいと今日のカフェでのひと時に思いました